こんにちは。飯田隆太です。(twitter:リュータ)
先日、他の方が担当していた案件を引き継いだのですが、反面教師としての意味で学ぶことが多かったので、この機会に棚卸ししておきたいと思います。
ホワイトワーカーの仕事は、意思決定すること
オペレーションとして確立している作業や営業を除いて、ホワイトワーカーの仕事の大部分は、意思決定すること、ないしは決定するための材料を整理しより上の人間に判断を仰ぐことです。
この意味において、内容や形式が「必要」以上に多いもしくは、「必要」なレベルに届いていない資料は、非効率(=ムダが多い)かまたは目的を果たしていない資料といえます。
資料に求められる「必要」なレベルの情報と形式とは
必要なレベルの情報や形式は以下といえるでしょう。
- 内容の観点:
✓意思決定を下す上で必要な情報が記載されていること - 形式の観点:
✓読みやすさ、人により解釈が分かれることを防ぐため、内部統制を目的とした形式。
✓クライアントが読み手となる場合は、印象の観点から見た目の美しさも必要な場合も。
今回、引き継ぎを受けた資料も、内容と形式のどちらも観点からも必要以上の情報が詰め込まれている資料でした。パッと見た印象は体裁が整った美しい資料に見えるのですが、その実、関連性の低い情報が多く何が言いたいのかわからない、悪いお手本のような資料となっていました。
不必要に「美しい」社内資料はムダ
社内資料の場合は、工数を消費してまで見た目の美しさにこだわることはムダでしかありません。例えばある投資を行うか否かを決定するための資料において、資料の見た目が美しいからといって、案件の収益性や費用が変わるわけではありません。
社内資料は、必要な情報をわかりやすく、人により判断がブレることなく伝える資料になっていれば十分です。むしろそれ以上に見た目や形式にこだわっても、企業として利益を生むという究極的な目的からして違いを生みませんのでムダでしょう。
もし、必要以上に見た目や形式にこだわることが習慣として部署や企業全体として根付いているとすれば、企業として「イケてない」可能性もあるので、自分のキャリアを自問したほうが良いかもしれません。
(私が新卒で入社した企業も、残念ながらそのような企業でした)
「ビジーすぎる」、「ノイズがある」資料になっていないか
資料の内容としても、情報量が多すぎる場合は問題があります。情報過多の資料は、何を言いたいのかわかりにくく、その上つくる工数もかかりがちです。
コンサルティング会社では、「資料がビジーすぎる」、「この情報はノイズになっている」という表現を聞くことがあります。これらの言葉は、伝えたいメッセージとの関連性の低い情報が記載されていたり、情報が多すぎて何が言いたいのかわからなくなっている資料の状態を指します。
例えば、一枚のまっさらなスライドを出発点とし、そこに情報を追加していくと情報の増加に伴い、理解度も高まりますが、しかしある一線を超えるとむしろ理解度は低下しはじめます。これは情報が多すぎると何が一番伝えたいメッセージなのかを読み取れなくなるという現象です。
つくっている本人は頑張ってさまざまな情報を詰め込んでいるのですが、読み手の立場からすると何が言いたいのかわからないし、作業としても時間がかかるという非常に残念な仕事の仕方であるといえます。
社内資料の見た目にこだわるひとは「罪人」といってもいい
すでに触れた点ですが、企業として利益を生むことが究極的な命題ですので、その意味で関連性が低い作業はムダです。
業務改革の手法としてもファイナンスの理論でも、「価値を生んでいる活動」と「価値を生んでいない活動」に活動を区分して、後者を排除することが企業の効率性に直結することだと広く知られています。
企業が業務改革などで効率化を図ろうとしているなかにおいて、社内資料の見た目を必要以上にこだわる人は、「価値を生んでいない活動」とそのような習慣を自分から増やしていることから 「罪人」ですらあると言えます。
「それ、バリューあるの?」は本質的な質問
その作業が 「価値を生んでいる活動」かどうかを改めて問いただすための質問として、「それ、バリューあるの?」という言葉は非常に効果的な質問です。コンサルティング業界特有の、この言葉を茶化す人もいますが、既に触れたように企業の究極的な目的に則して「価値を生んでいる活動」であるかを問いなおす極めて本質的な質問であるといえるでしょう。
(しかしながら、業界以外でそのまま使うと、「コイツは業界出身者かな」とか、「そっち系の人なのかな」など思われるので他の言葉で表現したほうが無難かもしれません)
コメント